えむ式

シンプルに生きるための備忘録のようなもの

無いと思って探すから無いし、有ると思って探せば有る

夫は天才的にモノを探すことができない。モノだけではない。外で待ち合わせをした時など、一応あたりをキョロキョロと探している風だけど目の前にいる私を見つけることができない。あの世とやらに行っても私が声をかけない限り再会はできないだろうから、たぶん私たち夫婦に二世は無いと思われます。

 「夫婦は二世」とは夫婦の縁の深さを表した言葉ととられがちですが、実は「親子は一世、夫婦は二世」の後ろに「主従は三世」と続きます。三番目の「主従は三世」を言いたいがために封建主義時代に作られた少々ご都合主義の言葉なのです。

 

と、余談はさておき夫があまりにモノを探せないので、「無いと思って探すから無いし、有ると思って探せば有るんだから、有ると思って探そう!」と声をかけることが常でした。

 

夫にかけた自分の言葉にハッとすることがあります。特に、少し批判めいた言葉を口にするときに、「あれっ、これは自分のことだ。今の言葉は自分に向けた言葉だ・・・。」と頭の中で気が付いて、それでも知らん顔している妻を許せ、夫よ。

 

この、「無いと思って探すから無いし、有ると思って探せば有る。」という言葉も私自身に向けた言葉なのだとある日気が付きました。

 

無いと思いながら探すということは、「見ていない」ということです。「無いと思う=目を閉じたまま」探しても見つかるわけはないのです。「有る」と思って「探す=見る」から見えてくるのです。探しモノを見つけるにはしっかり目を開けて見ることなのです。

 

これまで目を閉じながら探しモノをしてきた私が、目を開けて見るきっかけとなったのが断捨離でした。不用なモノに囲まれて暮らしているということは、現状から目をそらし続けてきたということだったのです。

 

目を開けて見れば探しモノは見つかります。探しモノはそこにあるのに、目を閉じて見ようともしないのは、それこそもったいない!